忠義とは? ~「どうする家康」を見て~
「どうする家康」を再び観る
戦国もの大河ドラマが好きだ。アマプラで見れるので、毎日1話ずつ見ている。話は終盤にきていて、関ヶ原の一歩手前、伏見城の戦いに入るところだ。
大阪で政治を統治する家康が、上杉景勝の討伐に会津へ向かう留守を家臣の鳥居元忠に任せるのだが、少ない兵で伏見城の守りを引き受ける言葉にじ~んとくる。その前のシーンで、家康は、石田三成が静かに暮らしている様子を聞いて安堵していながら、自らが出陣して大阪を空けることに不安を感じ、最も信頼できる家臣を選択する。主君と家臣の信頼が美しくて感動するのだ。
「徳川家臣一の忠義者、この元忠が殿のお留守をお預かりいたします」
Wikiを見て鳥居元忠をおさらいしてみた。元忠は、家康が今川家の人質だったころから側近として仕え、大河ドラマに出てくるほとんどの合戦で戦っている。ドラマでは家康よりずいぶん年上に見えるが、3歳くらいしか離れていない。松平家臣としての生まれながらの宿命を家康と苦難を共にすることで、主君への忠節が生きがい・人生の終点として全うしたと受け取れる。
この時代の忠義とは?
命のやり取りで統治する戦国時代は終わり、この時代の忠義は、どこかに残っているのだろうか?サラリーマンを引退した自分は、戦国時代の農民以下の庶民である。主君などと呼ぶ存在はない。サラリーマン時代も社長や上司を主君と呼ぶわけがないが、ちょっと忠義っぽいものがあったとしたら、上司の戦略を後押ししたくらいだろうか?でも、これは「忠義」にあてはまらないな。
政治や自衛隊など、縦社会が濃いところでは、忠義の心を持つ人がいるのだろうか?なぜか、美しい忠義が想像できない。美しい忠義は不要な時代になったのだろうか?
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